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【Featuring SAiN68】心豊かな暮らしって 「もの」に気遣う暮らし

2021.02.14

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    三月に入ると、「三寒四温」って感じではなく、「一寒六温」の勢いで、暖かくなった気がします。

    ガレージ横の隣の家のミモザも、待ちに待った春の到来を喜んでいるように見えます。

    それと同時に、この時期は様々な山菜を楽しむことができます。

    先日も「菜の花」をいただきましたが、菜の花を食べるだけで、昨年の春を思い出したり、子どもの頃、学校からの帰り道にたくさん摘みながら帰宅したりしたことを思い出します。

    「ただの草」とも言える菜の花ですが、不思議な力があるように感じます。

    なんだか豊かさも感じさせてくれました。

    そして、ふと「もの」との付き合い方を改めて考えさせられたのです。

     

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    【今の時代、ただの草より凄いものはたくさんある!】

     

    身の回りには優れたものがたくさんあります。

    スマホやコンピュータはもちろんのこと、高機能な電子レンジ、自動車、形状記憶されたシワの入らないシャツ、割れないプラスッチック製の食器…例を挙げるとキリがないほどです。

    これらは、なぜ誕生したのか? その理由はとっても単純で、「面倒くささを解決したい」からです。

    例えば、冷めてしまった食品を温めるのに蒸すという方法があります。

    ところが、蒸し器を出して、お湯を沸かして、食品を蒸すという手間暇が必要です。

    電子レンジを使えば、ボタン一つで温まる上に、使い終わった後に電子レンジを洗う必要もありませんから、比較の余地がないほど便利ということになります。

    形状記憶されたシャツも割れないプラスチック製の食器なども、従来あったものと比較すれば、格段に便利です。

    この様な便利な物を使えば、今まで、手をかけてきた時間が浮くわけですから、気持ちに余裕が生まれて、穏やかな生活がおくれそうですが、いかがでしょうか。

    便利な道具をつかって浮いた時間はどこに行ったのか分からなくなることもしばしばあります。

     

    【簡単、便利というメリットが生むデメリット】

     

    簡単・便利というのは、とても魅力的です。

    ただ、「どんなものも表裏一体」と言われるように、裏の部分もあるように感じます。

    それが、「ものへの気遣いが失われる」ということです。

     

    私の家には、不恰好で落書きの様なものが書かれた陶器の器があります。

    この陶器の器が不恰好なのは、子どもが卒園をする時期に自分で作ったものです。

    卒園した当初は、子どもにとってはキッチンが高く、不自由そうな体勢で洗っていましたが、落としてしまったということはありません。

    もちろん、家族のだれかが、その不恰好なお皿を落としてしまったということもありません。

    これが、もし割れないプラスチック製の器であれば、きっと落とすこともあったでしょう。

     

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    また、先日、次男は、小学校の給食当番用のエプロンを持ち帰ってきました。

    「アイロンをかけるのが面倒くさいなぁ。」と言いながらも、アイロンをかけていました。

    遊びたいのを我慢して仕上がった給食当番用のエプロンは大切なのでしょう。

    エプロン用の袋に丁寧に入れていました。

    このエプロンが、どんな入れ方をしても、シワが入らないエプロンであれば、丁寧に入れようとすらしないと思うのです。

    不恰好な陶器のお皿もアイロンをかけないといけないエプロンも、最新の技術とは無縁のもので、弱く、低性能です。

    だからこそ、自然と「ものに気遣う暮らし」が生まれるのだと思います。

     

    【人以外の「もの」に気遣う時間が豊かな時間】

     

    どれだけ便利な時代になっても、自分が育てた野菜を見ると買ってきた野菜よりも随分、美味しそうに見えます。

    「親バカとか手前味噌と一緒じゃないか!」と言われたとしても、誰もがそんな言葉は、聞き流すことでしょう。

    野菜を育てる過程で、間引かないと大きく成長しないと分かっていても、何だか間引くのが心苦しく感じることもあります。

    中には、間引いたものは、他に植える場所を作って植えるとか、できが悪くのを覚悟して間引かないという人もいます。

    つまり、相当な手間をかけながら、野菜に気遣っているわけです。

    けれど、そうした方々が気疲れしている様子は、一切ありません。

    むしろ、活き活きと生活を楽しまれているように感じます。

     

    最近は、様々な技術が大きく進歩して、「もの」の性能が高くなり、「もの」の強さも増してきました。

    もちろん、私もその恩恵を受けて日々の暮らしができているのですが、「もの」に強さを求め過ぎると、人がもっている「優しさ」が活躍する機会が減ってしまうような気がします。

    ですから、暮らしの中に、弱く・繊細なものも置きつつ、優しさが活躍できる場面も残しておくことは、とても大切だと思うのです。

    春にしか芽を出すことができない弱さをもった菜の花が、ものとの付き合い方を改めて教えてくれたように思います。

     

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    京都府宇治市

    渋谷浩一郎